ブラジルモアイ大納言の日記

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「おしゃれ」とはなんなのか(前編)

こんにちは、けんていです。このお話は前後編です。

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僕の周りの友人たちは、幸運にも服好きな人がたくさんいる。


『クレジットカードの錬金術師』と称し、毎月支払いに追われるほど、服を買っている友人や

「親にお金もらえて買ってます」といったツワモノofツワモノな友人、

『重ね着(レイヤード)が上手いなぁ〜どこのブランドのものかな?』と思ったら無印、ユニクロといったプチプラを上手くコーディネートに取り入れたりする友人、

中には、実際にセレクトショップや古着屋で働いている友人なんかもいる。


どの友人も、「おしゃれ」に対してそれぞれの考えを持っており、「僕ももっとおしゃれになろう!」と思って人生を楽しむ励み、言うなれば切磋琢磨?させてもらっている。

もっとおしゃれになるぞ〜!…あれ?

人それぞれの考えがあるって言ったけど、おしゃれに定義ってあるのか…?

・・・

おしゃれって言葉は、もちろん名詞である。しかし、他人に対して直接的に使う、一種の形容詞的側面な言葉でもあると思っている。自論of自論だが。
(『かっこいい〜』は形容詞、『イケメン〜』『おしゃれ〜』は名詞だけど形容詞っぽく使うから、伝わる?)


おしゃれという言葉を向けられれば、非常に承認欲求を高め、嬉しくさせてくれる。

だからこそ、おしゃれという言葉をかけた人は、何を思って、何を見て、その人のことを「おしゃれ」と判断したのだろうか。


同時に非常に曖昧な言葉だなと思ってもいる。

なんというか、なんとなく使ってる気がする。

おしゃれって言葉をちゃんと調べて言葉を発さないと、言う方も言われる方も困ってしまう。

もし、おしゃれという言葉に定義や、「こういう部分が、こうなっていたらおしゃれである」みたいなものがあれば良いのだが。


そう思い、まずはGoogle先生におしゃれとは何かを聞いてみた。

結果はこの通り。


からしゃれってなんなん…おを取っただけやろが…)って感じだったので今度は

しゃれについても調べた。


だからそれでは分からんのよ…今度は洒脱?…

こうなると小さい子がよくやる

「りんごってなあに?」

「丸いってなあに?」

「形ってなあに?」

といういたちごっこな気がしてGoogle先生をチェンジ。広辞苑でも調べたが、結局同じことが書いてあるだけ。

「おしゃれってどういう基準で決まるの?」
結局答えが見つからない気がした。

泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、「おしゃれ」の定義が見つかっていないのに、また別の疑問が出てきた。

それは、「おしゃれである、おしゃれではない議論をいい加減止めるためにはどうすればいいの??」である。

さぁここで出てきた『おしゃれ・おしゃれでない議論』。

これは最近思うことで、結論から言えばどっちでもええやん、なことだが、ガッキーがあの容姿で30歳を迎えたことくらい大事な話でもあるので、どういうことなのか、例えばこんな場面があったとして、考えていただきたい。

(例)
服が好きな大学生AとB。2人とも服の系統は違えど、周りからは『おしゃれ』な人と呼ばれています。

しかし、ある日の2人の会話にて。

A「B、お前の服装ダサいよ。」

おしゃれに無頓着な人が、それを言われたら「まじか…なんとかしなきゃな…」と思うかもしれない。

しかし、おしゃれにこだわりのあるBは、

B「は?こだわりがあるんだけども?お前はどうなんだよ?」と反論。

このとき、
A「俺はおしゃれだよ?だって、◯◯のブランドのアウター着てるし、◯◯のブランドのパンツ履いてるし…」と強く言い返す。

すると、B「いやそれ、周りのやつらみんな着てるわww量産型かよww」

そして、2人はお互いを毛嫌いするようになった…。


…第三者の立場で言うなら、「どっちもおしゃれで良くない?」と思う。どちらもおしゃれに興味のない人から見たら『おしゃれ』に変わりはない。

でも、『おしゃれの価値基準ってなんなの?』ってなったときに、明確な基準がない。先に出した例題で『◯◯のブランドを着ているA』がいた。そのブランドを着ること=『お金をかけること』が基準にあるならば、ハイブランド・ドメスティックブランドばかり着てる金持ちが、全員おしゃれになってしまう。

だが、もし明確な基準があるなら、スカウター的なものでおしゃれ度は数値として出るのか?と思ったが、そんなものあったらめっちゃ使われてるはず。そもそも無い。

多分、一般認識として、おしゃれの基準は『流行りに合っている→おしゃれと言われている人の考え方や、その人がおしゃれアイテムと言われているものを身につけているか、またその人の体型に合ったものを身につけているのか』といった『他者から見た評価』を基準としたものが、おしゃれの基準なんだろうと腑に落としている。

だけど僕は、おしゃれの基準に足して欲しい、みんなに思ってほしいことに『自己満足』という自分が思う評価を入れることが、おしゃれの基準になるのではないかと考える。
既存の基準だけでは例のように、争いが生まれ、おしゃれへの格差社会が生まれ、服への関心が薄れてしまうと思う。

・・・

…とは言うものの、周りが着ているから僕も着る。世間で流行っているオープンカラーシャツを僕も買う。そんな周りが着ているから着る、世間で流行っているから着るということは、果たしておしゃれと言えるのだろうか、有名人が着ているものを真似するならよくあることだが、いったいおしゃれ基準として正しいのだろうか??自己満足なら別に良い?

まず、流行りの最初って、ファッション界の重鎮達(例えばハイブランドのデザイナーとか)が、自身のブランドの服に流行るだろうというものを取り入れたものが、特徴的だったりして、コレクションなんかで紹介すると、「かっこいい!」とか「計算されて作られている!すげぇ!」と大勢のおしゃれセンサー高いバイヤーやデザイナーが評価(ここが次)をすると思う。
この後、そんな人たちが「大衆に着させれば、きっと売れる!」と見込み、ファストブランドにて、そのコレクションの流行りの服にインスピレーションを受けて服を作ったり、セレクトショップにそのアイテムを置いて、僕たち大衆が、手に入れやすい値段で買えるようになったり、巷の有名なセレクトショップに置くことで、手に入れられるようになり、街で着る人が増える、といった構図ができあがると考えている。

(この構図をかき乱すファッションオタクは、ブランドにこだわりにこだわるから、流行りに火をつけたハイブランドのものを、旗艦店にて直接買って所有欲を満たしますが。)

流行りに乗って着てみれば、かっこいいかもしれない、おしゃれかもしれない。しかし、周りが着ているから量産型…と思われ、指摘をされるかもしれない。

多くの人に「おしゃれ」と言われたいなら前者を選ぶ方が、反対に服好きな人たちから「おしゃれ」と言われたければ、後者を気にし、自分なりの服を見つけるのが良いと思う。


中にはこんなおしゃれ像もある。
「セットアップにタートルネック、荷物が少しも入らなさそうな女性用のハイブラポーチ」といった感じ。僕はその服装、めちゃくちゃおしゃれだしキマッてるなぁと思う。
‪だからといって、その服装が全員にハマるワケではない。その服装を好きな人がいるならば、必ずその服装を嫌いな人もいる。極論、別に服なんて、何着ても良いとは思っている。‬
‪ただそこで、
‪その服装をおしゃれと決めるのはいわゆる、オピニオンリーダーや、今をときめくインスタグラマーが着ているから「おしゃれなんだ」とされている気はする。おしゃれな人のおしゃれな服装を真似することは、素晴らしいことだと思うし、『学ぶ』は『真似ぶ』とも思っている。

‪でもやっぱり言いたい。
「その服装をしている自分はおしゃれである」とは言い切れない。なぜなら、似合う体系とか服装がほかにあるだろうから。

・・・

結局、おしゃれの価値基準って誰が決めるんだろうか。
おしゃれ論争も解決していない。

おしゃれって本当になんなのだろうか。

そんなもの気にしてるくらいなら、自分の「これだ!」というこだわりを見つけて、自己満足で良いから服を着るべきだと思うのが折衷案な気はする。

つまりは「お前服装ださいよ」と言う人は(僕みたく、こだわりがあるんだろうなぁ。)と思ってほしいし、
言われる人も「僕にはこだわりがあって着てるからそんなことには耳を傾けない」という態度でいるのが、おしゃれであることの定義(というより意義?)

あくまで僕の一意見であり、「コイツ何分かったような口ぶりで話しやがって」と怒りがこみ上げてくるかもしれないが、ガッキーの可愛さに免じて許してほしい。

酔っ払って書いているため、ちょっとまとめきれていない気がする。明日も書くざます。

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後編はこちら!
「おしゃれ」とはなんなのか(後編) - ブラジルモアイ大納言の日記